プリキュアを見てあれこれ思ったこと

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スター☆トゥインクルプリキュア 第43話の感想 ―親の愛情こそ、子供の「良い子ちゃん」の仮面を外す最良の手段―

かえで(えれな母)

「人を笑顔にできるって凄いことよ。

 でも、人のために泣けるのはもっと凄い。

 それって、相手のことを本気で考えてるってことだから」

 

 

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こんにちは、キュアまさPです。

 

今回は、スター☆トゥインクルプリキュア

第43話感想の感想を書かせていただきます。

 

 

 

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スター☆トゥインクルプリキュア 第43話

『笑顔への想い☆テンジョウVSえれな!』

 

脚本:村山 功

演出:土田 豊

作画監督:稲上 晃

美術:齋藤 優

 

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幼い頃にできた固定概念は想像以上に大きい

今回の話を見ていて思ったのは、

「どんなに良いこと・素晴らしい物事でも、

 人によって捉え方が違うんだな」

ということです。

 

過去のえれなとテンジョウの話で、

笑顔に対する捉え方の違いが何度か描かれてきましたが、

今回、テンジョウの故郷であるグーテン星に行ったことで

プリキュアたちは皆、テンジョウが笑顔を嫌う理由を知ります。

 

 

 

グーテン星では「鼻が長いこと」が美しいとされています。

 

そんな中で、生まれつき鼻の短いテンジョウは

大人たちから「鼻の長さなんて関係ない」と

優しい笑顔を見せられてきました。

 

しかし、幼い頃のテンジョウは、

どこかで見聞きしてしまったのでしょう。

 

「鼻が短い彼女はなんて可愛そうなのだろう(笑)」

 

「あいつの人生、終わったな(笑)」

 

と。

 

自分に見せてくれていた笑顔は嘘で、

本当は自分を見下し、嘲笑しているんだと。

 

幼い子供がこのような場面に出くわせば、

それは当然ショックを受けるわけでして、

トラウマとなるわけです。

 

それゆえに、テンジョウの心の中に

「笑顔=嘲笑」というネガティブな固定概念ができてしまったのです。

 

 

 

一方のえれなは、39話の英語のスピーチで出てきたように、

幼い頃に「自分が笑顔になったことで、周りの人も笑顔になった」

という体験をしました。

 

そのため、「笑顔=周りも笑顔になる」という

ポジティブな固定概念ができました。

 

 

 

ここで気がつくことは、えれなもテンジョウも

「幼い頃にできた固定概念以外の考え方を全く知らなかった」

ということです。

 

両者ともに、

 

「笑顔=嘲笑」

「笑顔=周りも笑顔になる」

 

という考え方が全てだと思い込み、

それ以外の見方・考え方ができなかった

ということです。

 

 

 

幼い頃の体験が自分に及ぼす影響というのは、

本当に強力です。

 

世界の全てがそのようであるということ

錯覚してしまうほどに強力です。

 

この固定概念を取り除くには、

自分とは別の考え方を持つ者と交わり、

本気でぶつからない限り起こりえません。

 

幼い頃の体験以上に大きなな体験が必要なのです。

 

そうした意味では、「笑顔」に対して

真逆の考え方を持つえれなとテンジョウが出会い、

真っ向からぶつかりあったのは大きな経験ですし、

傍目から見れば両者の人生を大きく変える

良き出会いだったのではないかと思います。

 

 

 

えれなはもう、無条件に笑顔が素晴らしいとは思わないでしょう。

 

けれども、その上で、

 

「それでもやっぱり笑顔は素晴らしいものだから

 私は笑顔を見るのが好きだし、みんなも笑顔にしたい」

 

ということをえれなは自覚できました。

 

(そして、トゥインクルイマジネーションに目覚めました)

 

 

 

私は、無条件に「笑顔が素晴らしい」と

ゴリ押しするえれなが嫌いでした。

 

でも、相手の辛かったこと・悲しかったことなど

相手の心情を汲み取り、その上でもやっぱり

相手を笑顔にしたいと確信したえれなさんは、

人として魅力的になったなと感じています。

 

えれなさんが笑顔のネガティブな側面に気づき、

成長してくれて良かったなと思います。

 

 

 

 

素晴らしいものを広めたいなら、相手に寄り添うところから始めよう

 

話は少し変わりますが、

世の中には反論しようもない素晴らしい価値観

というものがあると思います。

 

えれなさんの物語のキーワードである「笑顔」の他に、

「愛」とか「夢」とか「自然を守る」とか、

そうしたものがあると思います。

 

私自身、そうした価値観は大事にしたいですし、

それを持ち続けたいと思い、日々暮らしています。

 

人を愛し、優しくできるような大人でいたいですし、

人は夢を持って生き続けてほしいと思いますし、

自然や地球環境を守る人が増えてほしいと思っています。

 

 

 

けれども、相手の思いや考え方の理解なしに、

その素晴らしい価値観をゴリ押ししてしまったら、

相手側はどんなに素晴らしい価値観であったとしても

それを受け入れることはできないと思うんですよね。 

 

 

 

 

実は私、過去のプリキュアシリーズにおいて

唯一嫌いになってしまった作品1つだけありました。

 

そのシリーズは、「愛」のゴリ押しをしていたんですよね。

 

もちろん「愛」の素晴らしさは知ってはいます。

 

けれども、

「愛」という言葉ばかりが強調され、

「愛」を態度で示されることが少なく(そのように感じ)、

「愛」を強要されているかのようなところが

本当にうっとおしくなって、吐き気がしてしまって

嫌になってしまったのです…

 

プリキュアという人生で最も好きなアニメのシリーズにおいて

嫌いなシリーズができてしまったというのは、

これは本当にショックで悲しかったです。

 

 

 

こうしたことからも、私は

素晴らしい価値観を広めたいなら、

自分の価値観をゴリ押しするのではなく、

まずは相手を理解し、寄り添い、その上で

言葉だけでなく行動や態度で伝えていくのが良いのではないか

と思っています。

 

 

 

上述したように、人はそれぞれ

様々な固定概念を持って生きているので、

そこを理解した上で、自分が理想とする価値観を態度で示し、

素晴らしいものであることを感じとってもらえれば、

自然とその価値観は広まっていくのだろうなと思います。

 

 

 

親の愛情こそ、子供の「良い子ちゃん」の仮面を外す最良の手段

 

前回のブログで、一番上の子供は

早い段階から「良い子ちゃん」という仮面を

被ってしまうということを書き綴りました。

 

 

multicolorlifestyle.hatenablog.com

 

 

正直、前回の話の段階では、

えれなはテンジョウとの戦いにおいて

心が成長して終わるものだと考えていました。

 

しかし、今回の話の最後に、

えれながお母さんと話す場面がありました。

 

そこで、お母さんがえれなの思いを受けとめて、

えれなのやりたいことを応援することで

「良い子ちゃん」という仮面を外してあげた

ことは、個人的にはとても感動しました。

 

 

 

プリキュアの物語は、

 親が子供の悩みを見過ごすことはしなかったか」

 

と感じました。

 

やっぱり、プリキュアの物語が好きです。

 

改めてファンになりました。

 

 

 

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それと今回、えれなさんが勇気を出して

「お母さんのような通訳になりたい」と言った時、

お父さんもお母さんも無条件に認め、受け入れていました。

 

両親がこうした態度を取れるのも、個人的には

お父さんもお母さんも夢に生きていたり、

やりたいことをやって生きていたりするからだと思っています。

 

えれなのお父さんはお花屋さん、お母さんは通訳という

それぞれのやりたいことをやって生きています。

 

そのようにして夢に生きていたり、

やりたいことをやって生きていたりすることで、

親が充実した人生を生きられているからこそ、

子供のやりたいことをやることを素直に受け入れ、

応援できているのでしょう。

 

子供の夢ややりたいことを潰さないためには、

親も夢に生きたり、やりたいことをやって生きることで、

心の余裕や充実感を持つ必要があるのだなと感じました。

 

 

 

自分のためにも、そしてかわいい我が子のためにも、

親こそ夢に生きたり、やりたいことをやって生きましょう。